誰かがいた静寂

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3月の終わりに息子の卒園式があり、ジムの送別会があり、娘の転園があり、弟が中国地方にIターンした。

これまで顔を合わせていた人たちと会えなくなるというのは、それぞれが新しい道に進み、それが喜ばしいことだと分かっていてもやはりさびしい。

以前読んだ「芸人と俳人」で又吉氏が次のような句を詠んでいた。

静寂は爆音である花吹雪
芸人と俳人(又吉直樹・堀本裕樹 著)より

音もなく散る桜の花びらに「爆音」という言葉を持ってくる又吉氏に唸るばかりの素敵な句だが、涙腺が緩みがちであちこちがすり減っている身としては、爆音と静寂という組み合わせからなんとなくさびしさを感じてしんみりする。

ずっと鳴り響いていた音、たとえば掃除機の音やドライヤーの音、工事現場からの機械音、どこからか聞こえる歌声、話し声、笑い声がふっと途絶えると、体をあずけていた壁がなくなってよろけるような感覚がして落ち着かない。見知った人が身の回りからいなくなるのも、その人がいることで満たされていた空間に穴があいたようで、やはり落ち着かない。

その人が、新しい場所で同じように爆音を響かせることを、こちらは強く信じ、再会の時を心待ちにしつつ、その静寂に自分を慣らそうとするのだが、そう簡単に慣れるものではないことは分かっているので、自分も何か新しいことを始めたり、新しい場所に行ったりして、ドタンバタンと音を立ててみる。

春である。

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