内田百閒 – ノラや

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ノラや

朝日新聞の百年読書会で取り上げられていた本。

内田先生のところに迷い込んで住み着いた2匹の猫の話である。正直にいうと読んでいてとてもつらかった。秋口に我が家からいなくなったハタケのことが思われて、百閒先生ではないが涙を堰きあえず鼻の奥をジンジンさせながら読んだからである。

文中にご自身でも書いているが、表題のノラに関するエピソードでは先生が悲しみのあまり自分を見失い過ぎていて、文章が整理されていないせいか今ひとつ感情移入できなかった。とにかく百閒先生が泣いている。ノラが寝ていた風呂のふたに抱きついて先生が泣いている。私たちはそれを茫然と見守るしかない。

だが、クルツの話になると様子が変わる。話しかけ、なでくり回し、顔をすりつけるようにして猫にかまう。お行儀がどうこういいながら人間と同じ食べ物(良さげな刺身など)を分け与え、食べる様子が見たいからもう少しやってみようとする。とにかくかわいい百閒先生と猫のことが事細かに描き出されている。先生と猫の会話(先生が一方的に話してるんだけど)を一部抜粋する。私が一番好きな部分だ。

「おやおや、寝た儘で、足の先だけで伸びをしたな。器用な真似が出来るものだね。指の間を随分ひろげたぢやないか。もうそろそろおつき合ひに飽きて来たと云ふのだらう。ところがこちらは、さつきから急にいい心持ちだぜ。猫が退屈して、こちらは廻つて来て、食ひ違いだね、クルや。もう一ぺん起きてお出で。起きて来て、お前も何か食べさして貰へ。をばさんのとこへ行つて、ニヤと云ひなさい。くれるよ。お前の好きな物は、常食の小あぢの外に、出前の洋食屋が持つて来るコロツケのわきづけのヸンナソーセーヂ、あの揚げた味がお前は好きなのだね。猫は練り物が好きだと云ふ、お前もその例に洩れない様だ。しかしソーセーヂは今晩はないよ。取らないんだもの、ないよ。それから銀紙に包んだ三角なチーズ、あれも好きだね。矢張り練り物だからな。洗濯シヤボンを嚙る様で面白くもないが、猫の好むところへ容喙する事はない。あれはあつた筈だ。あつちへ行つて貰ひなさい。おやおや、起きて来たね。矢張り人の云ふことがわかるのかい。しかし、起きた途端に、そら、またその小さな鼻をひくひくさせる。お膳の上をそんなに見てはいかん。あつ、そうか、忘れていたよ。忘れて食べてしまつた。お前に蒲焼きを少し残してやる筈だった。あぶらでずるずるしてゐるから、つい咽喉へ辷り込んだのだ。御免よ、クルや、チーズで我慢しな」

内田百閒 – 猫の耳の秋風(ノラや P214)

こんな調子でクルがどんなにかわいくて、自分がそれをどれだけかわいがったか綴ってある。たまらない。読んでいると、うちのハタケが今どこでどうしているのかを思い、つらくなる。

ハタケはいつも駐車場の入り口にちょこんと座って私たちを待っていた。私たちが来るのが見えるとニャーニャー鳴きながら走り寄ってくる。ハタケは歯槽膿漏だったのでドライタイプのキャットフードだけでは食べられなかった(歯茎にあたると痛いらしい)。いつも缶詰とドライのキャットフードを混ぜた物を少し食べ、メインに大好物の焼かつおを手から食べた。食べ終わると少しだけ水を飲み、ひとしきり毛繕いをすると私のひざに乗ってきて寝る。骨太で重いが機嫌良くのどを鳴らしているのでこちらは足がしびれるまで我慢する。犬歯が左上しか残っていないため気持ちよくなってくるとよだれが出る。よくジーンズを汚された。私たちが帰るときはいつも見送ってくれた。

そんなことを思い出し、あたりを見渡してハタケがいないことに胸が痛くなる。いつもハタケが潜り込んでいたソファーの前は、爪の痕がたくさん残っていて手で触るとざらざらしている。今日は大晦日なのでいつもより念入りに掃除をした。傷だらけの床を拭いていて、新しい年を迎えるのにハタケがいないことだけがつらい。明日は寒いらしい。暖かくしていて欲しい。

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