水調歌頭 shuǐ diào gē tóu
丙辰中秋,歡飮達旦,大醉,作此篇,兼懷子由。
bǐng chén zhōng qiū,huān yǐn dá dàn,dà zuì,zuò cǐ piān,jiān huái zǐ yóu 。
明月幾時有? míng yuè jǐ shí yǒu
把酒問靑天。 bǎ jiǔ wèn qīng tiān
不知天上宮闕, bù zhī tiān shàng gōng què
今夕是何年。 jīn xī shì hé nián
我欲乘風歸去, wǒ yù chéng fēng guī qù
惟恐瓊樓玉宇, wéi kǒng qióng lóu yù yǔ
高處不勝寒。 gāo chù bù shèng hán
起舞弄淸影, qǐ wǔ nòng qīng yǐng
何似在人間! hé sì zài rén jiān
轉朱閣, zhuǎn zhū gé
低綺戸, dī qǐ hù
照無眠。 zhào wú mián
不應有恨, bù yīng yǒu hèn
何事長向別時圓? hé shì cháng xiàng bié shí yuán
人有悲歡離合, rén yǒu bēi huān lí hé
月有陰晴圓缺, yuè yǒu yīn qíng yuán quē
此事古難全。 cǐ shì gǔ nán quán
但願人長久, dàn yuàn rén cháng jiǔ
千里共嬋娟。 qiān lǐ gòng chán juān
※「又恐瓊樓玉宇」とも
水調歌頭(すいちょうかとう)
丙辰(へいしん)の中秋、歓飲(かんいん)して旦(あした)に達(いた)り、大いに酔いて、此の篇を作り、兼ねて子由を懐(おも)う
明月幾時(いくとき)よりか有る
酒を把(と)りて青天に問う
知らず天上の宮闕(きゅうけつ)
今夕是(こ)れ何れの年なるかを
我風に乗りて帰り去(ゆ)かんと欲すれど
惟だ恐る瓊樓玉宇(けいろうぎょくう)の,
高き処(ところ)寒さに勝(た)へざらんことを
起(た)ちて舞い 清影(せいえい)を弄(ろう)すれば
何ぞ似たる人間(じんかん)に在るに
朱閣(しゅかく)に転じ
綺戸(きど)に低(た)れ
無眠を照らす
應(まさ)に恨み有るべからざるに
何事ぞ長(つね)に別時に向(むか)って圓(まどか)なる
人に悲歓(ひかん)離合(りごう)有り
月に陰晴(いんせい)圓缺(えんけつ)有り
此の事 古(いにしえ)より全(まった)きこと難(かた)し
但だ願はくは人 長久に
千里 嬋娟(せんけん)を共にせんことを。
丙辰年中秋,通宵畅饮,大醉而归,写了这首词——并有些思念弟弟苏辙。
怎么才能知道月亮圆缺的规律呢?我举杯遥问苍穹。不知道天宫里,现在是何年月。我本可以和着这清风扶摇而上去问问故人,只怕高楼红墙、层楼叠榭,我经不住那高处的寒意。而那九天之上的风光又哪里比得上此刻银光乍泄下,犹如宫娥起舞的影和这水波微荡的风呢?
流光瞬息,月儿从高楼檐角,又跳入满是雕花团簇的窗棂,盯着我这样辗转反侧的外乡之人看啊看。月儿呀月儿我可有哪里惹恼了你吗,不然为什么要在我与亲朋分别的时候格外的圆呢?哎!其实我也知道自古以来这人世间的悲欢离合就与月亮的阴晴圆缺一样,难以求全。只望远方的亲朋都平安喜乐,哪怕现在隔着万水千山,沐浴在这同一月色下,就和我们相聚时是一样的。
この詩はテレサテン(鄧麗君)が歌ったことでよく知られている。
水调歌头
丙辰中秋,欢饮达旦,大醉,作此篇,兼怀子由。
明月几时有?把酒问青天。
不知天上宫阙,今夕是何年。
我欲乘风归去,又恐琼楼玉宇,高处不胜寒。
起舞弄清影,何似在人间。
转朱阁,低绮户,照无眠。
不应有恨,何事长向别时圆?
人有悲欢离合,月有阴晴圆缺,此事古难全。
但愿人长久,千里共婵娟。