「強」の簡体字はなぜ「强」なのか(2)

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図書館でいろいろ資料を眺めてきたので前回の続きを書こうと思うが、その前に一度問題を整理しておきたいと思う。

  1. そもそもの疑問は、なぜ「強」よりも画数が多い「」が簡体字として採用されたか、である。
  2. 中国における漢字の簡化は、简化字总表にまとめられている。この表には「」は収載されていない。つまり、「」は簡化字ではなく繁体字のままである、ということになる。
  3. そうなると、「強の簡体字はなぜなのか」という疑問そのものが間違いである。中国が「この漢字は簡化していない。は昔からであってこれからもそうだもんね」という立場である以上、問題設定を改め、「日本や台湾では強を正字としているのに、なぜ中国ではを正字としているのか」、もしくは「強の方が画数が少ないのにどうして簡体字として採用されなかったのか」を検証することになる。
  4. このあたりの中国のスタンスは、第一批异体字整理表で「強」を「」の異体字としている点から明らかである。台湾の教育部異體字字典では「強」は正字とされているので、両者の見解はまったく違う。なお、こういう場合によく参照される康熙字典では「強」の方がメイン扱いである。

そこで、日本の漢和辞典は両者をどう扱っているのか調べてみることにした。近所に割と大きな図書館があるので、そこで棚に並んでいる漢和辞典を片っ端から閲覧してみたのである。閲覧できた字典の解釈を以下にすべて引用するのでバリエーション豊かな解釈の数々をご覧いただきたい(※各字典のリンクについては、検索して出版社と書名が同じ字典にリンクを張っているが、版が色々あるのであくまで参考程度と思って欲しい)。

篆文が「弘」と「虫」とからなるのは誤りで、「弓口」と「虫」とからなるのが正しい。したがって、意味を表わす「虫」と、音を表わす「弓口」(彊(きょう)の省略形)とからなる形声字である。籀文(ちゅうぶん)は、意味を表わす「虫虫」(こん/昆虫の意)と、音を表わす「彊(きょう)」とからなる形声字。
角川字源

形声。虫十彊省(音)。彊(キョウ)は、「つよい・かたい」。堅いからをした虫、こくぞう虫の意味を表したが、のち、彊(つよい)の意味に用いる。
現代漢和辞典(大修館)

篆文では「弘」と「虫」とから成っているが、これは誤りで、すでに古く説文繋伝が「秦の刻石は口に従ふ、疑ふらくは籀文の省に従ふ」と言うごとく、「口」に従わなければならぬ。したがってこの字は「虫に従い(意符)弓口(彊)の声(声符)」この形声字である。
漢字の起原(角川)

会意形声。旧字は、虫と、弓口(彊(キヤウ)の省略形。つよい)とから成り、もと、かたいからをかぶった虫、こくぞう虫の意を表わしたが、のち、もっぱら彊(きょう)の意に用いる。教育漢字は篆文(てんぶん)の形による。
新字源(角川)

形声。虫+彊省(音)。音符の彊(キヤウ)は、つよい・かたいの意味。堅いからをした虫、こくぞう虫の意味を表したが、のち、彊の意味に用いる。
大漢語林(大修館)

弘(こう)+虫。弘は弓弦を外している形。ムしはその外れている糸。虫はおそらく天蚕(てぐす)から抽出したもので、他の弓弦よりも強力であることを示す。〔説文〕十三上に「蚚(あぶ)なり」とし、弘声とするが、それは「強蚚」の名によって強を解するもので、弘は意符とみるべきである。金文の字形は彊に作り、疆(きょう)の意に用い、境界をいう。強弱とは別義の字。強は弓弦の強靭であることを示し、それより強力・強健・勉強の意となる。
字通(平凡社)

形声。弘と虫の合字。本義は米の中の小さい黒い虫、こくぞう虫のこと。ゆえに虫をかく。弘(コウ)は音符。彊に仮借してつよい義とする。
新大字典(講談社)

会意形声。虫と弓口(彊(キョウ)の省略形。かたい意)とで、もと、固い甲(から)をかぶった虫の意。借りて「つよい」意に用いる。常用漢字は篆文(テンブン)による本字。
漢字典(旺文社)

強はもと虫の名、形声、虫をもととし、弘(コウ)の転音が音。つよい意は彊、形声、弓をもととし、畺(キョウ)が音
新明解漢和(三省堂)

会意兼形声。彊(キョウ)は、がっちりとかたくじょうぶな弓。○印はまるい虫の姿。強は○印の下に虫+音符彊の略体」で、もと、がっちりしたからをかぶった甲虫のこと。蚚(キン)ともいう。強は彊に通じて、かたくじょうぶな意に用いる。
学研新漢和大字典(学研)

「蚚(かぶとむし)なり。虫+弘声」……固い甲をかぶった虫の意であるが、普通はかっちりと固い、丈夫だという意味に用いる。また勍とも書く。それは「力+京声」の形声文字で、つよいことを意味する。「虫+彊の省声」と改めた方がよい。
漢字語源辞典(学燈社)

形聲。弘と虫の合字。本義は米の中の小き黑き蟲のこと。故に虫をかく。弘(コウ)は音符。彊に假借してツヨキ義とす。
大字典(講談社)

形声。弘と虫を合わせた字。虫が形を表し、弘(くわう)が音を示す。强は蚚(き)という・米の虫、あるいは、あぶのことであるが、彊(きょう)と音が同じなので通じて用いる。彊は弓の力がつよいことで、強もつよい意味である。
新選漢和辞典(小学館)

このように彊の省略形である「弓+口」と「虫」の組み合わせが本来の形と主張している字典と「弘+虫」を掲げる字典の二派に大きく分かれている。中国 VS 台湾の構図と同じである。意見が分かれていることだけはしっかりと分かったが、私の疑問解消には展望が開けないままである。

字典以外の資料として見た「文字の骨組み」の資料編にある常用漢字表の字種の字体一覧には、説文解字と唐の正字の字体は「強」だが康煕字典も日本の印刷字体の多くも「」、という説明があった。ううむ、私の眺めた康煕字典はバッタモンなのだろうか。それはさておき日本の印刷字体の多くが「」だったというのは、とても有益な情報である。新中国成立前の大陸の印刷字体についても情報が欲しいところだが、こうなってくると素人の調査の域を完全に出てしまう。

今回の調査では「簡化漢字一夕談―中国の漢字簡略化」も読んだ。中国における簡化の流れ、思想、問題点が実に分かりやすくまとめてあり、非常に面白かった。「中国の簡化は字源主義ではない」というようなことがどこか書いてあったが(失念)、これなどは「戦後日本漢字史」の当用漢字表に関するくだりの「字源主義の排斥(P122)」と通じていて、今回の問題の由来を見た思いがした。

ここまできてようやく問題の輪郭がぼんやり見えてきたような気がするが、さらなる調査を進めるのは難しそうなのでいったんここで打ち切ることにする。消化不良無念。未了印をつけておいて、また何か資料が見つかったら続きを書こう。

2件のコメント

  1. この文章の続きがあるかどうか知りませんが、
    昭和2年の岩波文庫発刊に際して岩波茂雄が書いた文章(活字)には、『數十册を强ふるが如き』って書いてあるようですね。
    日本が簡略化したのかも?(これだけではまだなんとも言えないけど)

  2. ありがとうございます。明治、大正、昭和初期における日本の印刷物を丹念に調べれば日本での字体の使用状況は把握できそうですね。ただ、台湾などの状況がどうだったのか気になるところです。日本統治時代のものも含め、過去の印刷物を眺められたら楽しそうです(^^)

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