扑朔迷离
成語
故事
むかしむかし、中国に木蘭という、心優しく働き者の娘がいました。
木蘭は毎日、糸を紡ぎ、布を織りながら家族と穏やかに暮らしていました。
ところがある年、北の国境で戦が起こります。皇帝は国中に兵を集めるよう命じ、徴兵名簿には木蘭の父の名前も書かれていました。
けれども、父はすでに年老いて体も弱く、戦場へ向かうことはできません。弟はまだ幼く、代わりを務めるには幼すぎました。
木蘭は家族のことを思い、何日も悩み続けます。
そして、ある日、決意しました。
「私が父の代わりに戦場へ行こう。男の姿に変われば、きっと誰にも気づかれない。」
木蘭は馬を買い、鞍や手綱をそろえると、村の若者たちとともに戦場へ向かいました。

それから十年以上もの間、木蘭は数え切れないほどの戦いをくぐり抜けます。
山を越え、川を渡り、風雨に耐えながら仲間とともに戦いました。多くの兵が命を落としましたが、木蘭は勇敢に戦い抜き、ついに国は勝利を収めます。
戦が終わると、皇帝は功績を立てた者たちを呼び、その働きをたたえました。
「望むものがあれば、何でも申してみよ。」
そう言われると、木蘭は静かに頭を下げて答えます。
「私は高い官位も、立派な宝も望みません。ただ一つ、故郷へ帰り、家族に会いたいのです。」
皇帝はその願いをかなえ、木蘭は久しぶりに故郷へ戻りました。
家族は大喜びで木蘭を迎えます。
年老いた両親は涙を浮かべながら城の外まで迎えに行き、姉は家をきれいに整え、弟はごちそうを用意しました。
木蘭は懐かしい自分の部屋へ入り、長年身につけていた鎧を脱ぎます。
昔の服に着替え、長い髪をとかして美しく結い上げ、鏡の前でお化粧をすると、そこには戦士ではなく、一人の美しい娘の姿がありました。
しばらくして、戦場で苦楽をともにした仲間たちが木蘭を訪ねてきます。
部屋から現れた木蘭の姿を見た仲間たちは、思わず目を丸くしました。
「なんだって! 十年以上も一緒に戦ってきたのに、君が女性だったなんて、まったく気づかなかった!」
木蘭は微笑みながら、こうたとえました。
「雄のウサギも雌のウサギも、走っている姿を見れば、どちらも同じように飛び跳ねています。二匹が並んで走っていたら、どちらが雄でどちらが雌なのか、見分けることは難しいでしょう。」
この言葉から生まれたのが、「扑朔迷离」という成語です。
これは、物事が入り組んでいて真相がつかみにくく、見分けることや判断することがとても難しい様子をたとえています。一見しただけでは本当の姿は分からないこともある――そんなことを教えてくれる言葉です。
現代での使われ方
物事が入り組んでいて、真相や実態が分かりにくいこと。
ワンポイント

木蘭のことを詠んだ古詩「木蘭辞」は、次のような一節で締めくくられています。
雄兔脚扑朔,雌兔眼迷离。双兔傍地走,安能辨我是雄雌!
(雄ウサギは前足をせわしなく動かし、雌ウサギは目がどこかやわらかく見える。けれど、二匹が並んで走り出してしまえば、どちらが雄でどちらが雌なのか、誰に見分けられるだろうか。)
ここでいう「扑朔」は、雄ウサギの前足がせわしなく動く様子を表し、「迷离」は、雌ウサギの目がぼんやりとして、やわらかい印象に見える様子を表しています。
木蘭がこのたとえを語ったのは、「私は十二年間も男たちと肩を並べて戦ってきたのに、誰一人として私が女性だと気づかなかったでしょう?」ということを、ユーモアを交えて伝えるためでした。
そして、この「扑朔」と「迷离」という二つの言葉が結び付いて、「扑朔迷离」という成語になったのです。
もともとは「雄か雌か見分けがつかない」という意味でしたが、やがて「本当の姿が見分けられない」、さらに「事情や真相が複雑で、何が本当なのか分からない」という意味で使われるようになりました。
木蘭の正体を誰も見抜けなかったように、物事も見た目だけでは判断できないことがあります。そんな様子を表す言葉として、「扑朔迷离」は今も使い継がれています。
〈参考〉漢文維基の木蘭辞
中国の小さな村で生まれ育った少女ムーランは、父親のかわりに、女性であることを隠して帝国軍に志願。仲間とともに訓練にはげみ、優秀な兵士となりますが、みんなをだましていることに耐えられず......。
出典
『古楽府・木蘭詩』
故事成語維基

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